東日本大震災で大きな被害を受けた、福島県いわき市に入った。震度6弱の地震、沿岸部を襲った津波で、多数の死者を出したいわきの町。そこに、福島第1原子力発電所の放射能漏れ事故が追い打ちをかける。市北部の一部に屋内退避指示が出た影響で、いわき市全域が危険という風評が瞬く間に拡大。医療を支えるはずの医師、薬剤師が相次いで避難する事態になった。孤立したいわき市の医療は、崩壊寸前に追い込まれている。市内の商店は閉まり、人影も少ない。ガソリンスタンドに並ぶ車の渋滞が目立つぐらいだ。原発の風評被害が深刻な現地を歩いた。
いわき市は、人口34万人の中核市。東日本大震災では、津波などで死者200人以上、避難者4000人以上の大きな被害を出した。沿岸部の四倉(よつくら)地区に入ると、被害の爪痕が痛々しく迫ってくる。崩壊した家屋、電柱に突き刺さり、ひっくり返ってぐちゃぐちゃになった車が無残に横たわり、津波の猛威をまざまざと見せつけた。
一部、重機が入って復旧が始まったが、人気もなく、まるでゴーストタウンの様相だ。道端で出会った住民が記者を呼び止め、地図を道路に広げ始めた。そして、生々しい津波被害の様子を話し、つぶやいた。「みんなやられてしまった」
現在、ライフラインは回復しつつあるが、断水は続いたままだ。復旧作業も全国からの応援が少なく、孤立化している。地元の水道業者が24時間対応しているが、とても人手が足りない。
さらに、福島第1原発の事故により、市北部の一部が福島第1原発から半径30km圏内に入ったため、屋内退避指示が出た。それが市全域にわたって危険だという風評になって、瞬く間に拡散した。風評被害の影響は深刻で、既に6~7万人の市民が避難したといわれる。ただ、取材当日(20日)のいわき市の1時間当たり放射線量は、0.8マイクロシーベルト。翌日は降雨の影響で、6マイクロシーベルトまで上昇したが、風向きの関係で今も内陸の方が数値は高い。
渡辺敬夫いわき市長は、「パニックになっている避難所もあり、まだ復興の段階では全くない」と話す。地元選出の吉野正芳衆議院議員も、防災服姿で「被災地を兵糧攻めにしている。放射線量は全く問題ない。正しい知識がないために、みんな避難してしまった」とまくし立てた。
それでも広がる不安を解消するため、渡辺市長は40歳以下の市民を対象に、安定化ヨウ素剤の配布に踏み切った。放射能の恐怖という現実は、震災被害以上の混乱をもたらしている。
調剤に5時間待ち‐疲弊する地域薬局
皮肉なことに原発の風評で最も敏感に反応したのが、地域医療を支えるべき開業医、薬局薬剤師だった。ほとんどが避難してしまい、医療は崩壊寸前に陥っている。いわき市薬剤師会の長谷川祐一会長は、市災害対策本部、市医師会、保健所などとの調整に奔走し、何とか残った薬局で処方せんに対応してきた。とても避難所の対応までは手が回らない。自身の薬局では、調剤4~5時間待ち。いわき市立総合磐城共立病院の門前薬局でも、病院からの処方せん200枚に加え、周辺の処方せん200枚が殺到した日もあった。長時間の調剤業務が連続し、ここまで踏ん張ってきた薬局も疲弊し切っている。
いま圧倒的に足りないのは、マンパワーだ。開いている医療機関と薬局の情報が、医師会にも薬剤師会にもなく、処方せんが近隣の北茨城市に流れ始めた。避難者も福島県の内陸部まで押し寄せ、風評被害の混乱がますます広がりつつある。
いわき市沿岸部の四倉地区は、福島第1原発から半径34km圏。市中心部は40km圏内。まさに最前線地区だ。しかし、屋内退避指示が出たのは市北部だけ。診療所、薬局に被害がないのに、まだ多くの医師、薬剤師は避難したままだという。既に震災から2週間が経過し、避難者の手持ちの薬がなくなってきた。避難所でも水が出ないため、栄養の偏り、衛生環境の悪化が懸念される。
そのような状況に危機感を抱いた長谷川氏は、避難所回りを開始し、保健師との情報交換、被災者の健康相談に乗り出した。いわき市の平地区にある中央台南小学校。ここでは、原発近隣の楢葉町から避難した住民が生活を送っていた。副町長は、「糖尿病や高血圧の人も多く、水も出ない。食事がカップラーメンなどばかりで、病気が心配だ」と避難してきた人たちを気遣う。
保健室で服薬説明が始まると、多くの人が列をなした。ここで活躍したのがお薬手帳。どこでも手帳さえあれば、患者の薬歴を確認できるため、災害時には大きな威力を発揮する。寒さや下痢など、生活・健康上の不安などにも耳を傾け、人が切れるまで相談に乗った。保健室を手伝っているスタッフは言う。「薬の相談をされても、怖くて簡単に手渡せない」。薬剤師の存在価値は、こういう場面でこそ発揮される。
「心は一つ」団結する避難所
避難所としては、比較的恵まれているとされる常盤地区の湯本第二中学校。澤井史郎校長は、震災3日後に避難場所を体育館から教室に移動させた。各教室は暖かく、食事も工夫されたものが出る。秩序は保たれ、混乱はほとんどない。何より校長のリーダーシップが大きい。疲れをおくびにも出さず、毎日各教室の様子を見に行き、明るく声をかける。そんな校長に対する避難者の信頼感は絶大だ。
厳しい避難暮らしを送る老人も、「食事がおいしくて、太ってしまったよ」と笑う。澤井校長は、「ここを日本一の避難所にしたい」と言う。職員室の黒板には「心は一つ」という標語を掲げた。
今のところ物資は足りている。避難者も一つになっている。それも、澤井校長が率先して前線に立ってきたからだ。医療者の多くが真っ先に避難した状況に、苦言を呈するのも無理はない。
地震・津波・原発、被災地を襲う三重苦
いわき市は、地震、津波、原発の「三重苦」を背負う被災者の立場である。それにもかかわらず、孤立が深刻化している状況は、悲劇としか言いようがない。支援物資を積んだトラックが引き返したこともあった。
それでも、医療者は最後まで頑張ってくれるはず、という市民の期待も、あっけなく裏切られてしまった。長谷川氏は、「今こそ薬剤師が頑張らなければならないのに」と、危機感を露わにする。地元で疲弊しながら頑張っている薬剤師もいる。だからこそ、なおさら苛立ちを感じている。
長谷川氏自身も、四倉地区の2店舗が津波の大きな被害に遭った。地震発生直後に、海沿いの店舗の様子を確認しに出向くと、津波が目前まで押し寄せてきた。すぐに車で避難し、間一髪で難を逃れた。その間、わずか20分だった。「あと少し遅かったら死んでいたかもしれない」。今でも津波被害のことを考えると哀しくなる。だが、落ち込む気持ちをぐっと抑える。悲嘆に暮れるのは後回しだ。医療がほとんど機能していない今は、地元薬剤師会会長として、困っている患者を救うことしか考えていない。
(柴田 高博)